教育を考える
現在の知識を主にした教育システムでは、工場生産的な手法のように各教科に分け、それを手際よくメニューにして切り売りし、つめこむやり方がとられます。
それは一時的・部分的には効率が高いかもしれません。
しかし、どんな精巧なロボットやコンピュータも、その中にうちこまれたデータのアウトプット以外は期待出来ません。
したがって、現代の数学・国語・英語その他の各教科がどれほど重要であっても、それは全人教育・全社会人教育の主要な部分ではあるがすべてではありません。
一見精巧で網羅的に見える現代の学校教育・社会教育で見おとされている部分があります。
たとえば、新しい文明・都市の発達、自然の開発、環境の善意による改変ということでも、総合的に見ればしばしば社会不安、自然破壊、環境汚染や公害、さらには人類の破滅につながるような禍根を将来に残しかねない場合があります。
これは分析的・工場生産的思考法や手法が全てではないということを示している一つの例証です。