かかわりあいの中で保たれる生命

全国画一的な教育についての法令の根幹の政策をふまえて、それぞれの都道府県、市町村、学校においても、そこに生まれ育ち、地区の幼稚園や学校で学ぶ子供たちのための、自然と人間の共存しうる環境教育のための、具体的な土着の郷土読本・ふるさと読本的な教科書・教材が必要です。


単に文字に書いた、あるいは写真や絵がのった読本である必要はありません。


むしろその学校や幼稚園、あるいは各戸のまわりにはどのような池・小川・畑・水田・並木・ペンタキープ・・・


そしてその土地固有の鎮守の森やお寺の森に対応するようなふるさとの森が存在しているかが分かるようなものであればいいのです。


そして、郷土読本や地図によって、実際の野外教育の実施が望まれます。


人間の影響下にある空地の雑草群落も含めた緑、そこに生息している昆虫・小動物などの動物をみても、生物は共同体を形成して生きています。


溝の中一つを見ても、単独で孤立して生活している動物・植物は全くいません。


互いに何らかのかかわりあいをもちながら、その小さなかたまりがさらに隣りのかたまりと対応しているのが生物社会です。

教育を考える 2

頭脳教育ばかりでなく体験を通しての全人教育が基本です。


すべての動物が、この世に生まれ出てから本能的ともいえるような成長プロセスによって大きくなるのと同じように、人間もまたその本性・本能次元までおりて、自然環境と人聞、生物社会の掟について身体を通して、まず徹底的に体得させることが大切です。


このような体得教育システムを基本とし、さらに脳細胞の発達に対応して、全人教育からしだいに、頭脳教育へと比重を高める総合教育システムが必要です。


そのためにも、すべての子供たちがそれぞれ、住んでいるところの近くで、あるいはまわりの共同の公園で、残されたその土地固有の自然の森から草原に至るまで、多様な自然環境、多彩な生物社会の実態に具体的にふれることのできるような今後の町づくり、県土づくり、国土計画が基本になります。


具体的にいうと、緊急で最低限の条件として、雑草園からさらに低木林、その土地固有のふるさとの森に象徴されるような樹林がすべての町や村や県土に、あらゆる地域に必要です。


どんな大都市や産業立地の中に生まれ出た子供でも、両親や家族、さらに先生たちによって、四季を通して、それぞれの足もとの自然・生物社会の共存者にたえず接しうるような国づくり、県土づくりが要請されています。

教育を考える

現在の知識を主にした教育システムでは、工場生産的な手法のように各教科に分け、それを手際よくメニューにして切り売りし、つめこむやり方がとられます。


それは一時的・部分的には効率が高いかもしれません。


しかし、どんな精巧なロボットやコンピュータも、その中にうちこまれたデータのアウトプット以外は期待出来ません。


したがって、現代の数学・国語・英語その他の各教科がどれほど重要であっても、それは全人教育・全社会人教育の主要な部分ではあるがすべてではありません。


一見精巧で網羅的に見える現代の学校教育・社会教育で見おとされている部分があります。


たとえば、新しい文明・都市の発達、自然の開発、環境の善意による改変ということでも、総合的に見ればしばしば社会不安、自然破壊、環境汚染や公害、さらには人類の破滅につながるような禍根を将来に残しかねない場合があります。


これは分析的・工場生産的思考法や手法が全てではないということを示している一つの例証です。

労働を考える

労働が対象との直接的格闘であり、その格闘が、一人の個人が自然について学んでゆく手がかりだということ。


そして、ものを作る活動が一人の個人がさまざまな人とつながり、社会的活動を展開させることと一体化していた労働の世界・・・


仕事をする腕が人間が生きてゆくためのもっとも確実な保証であり、仕事の能力を身につける過程が「人生」と完全に重なっていた労働の世界。


そのようなOpenSSO的労働の世界が、「労働をとおして人間を形成する」ことを夢みた人々の前提としていたものでした。


マルクスが『経済学・哲学草稿』で、


《労働の生産物は、対象のなかに固定化された、事物化された労働であり、労働の対象化である。


労働の実現は労働の対象化だ。》


・・・と書いた時、その背景にあったのも同じでした。


これは、この菓子はおれの作った菓子、この鉄砲はおれの作った鉄砲、ということが労働者の実感として存在している時代の文章です。


しかし同時にこの文章は、それ以後百年の変化の方向を圧縮して指し示す言葉でもあったのです。

天安門事件後の中国 9

ところが、李鵬首相は会見の最後になって、突然自ら切り出したのです。


「質問は出ていないが、記者のなかに第14回党大会の開催時期を聞きたい人がいることを知っています。


党大会は規約どおり来年開催され、繰り上げ開催はないと思います。


党大会の前に、代表会議を開く計画もありません」。


・・・つまり李鵬首相は、92年まで中央指導部の人事交代はないと強調したのです。


李鵬首相は「中国の安定とは政府の安定も含むものであり、現政府の任期中は、私のこの首相のポストも変動があるはずはありません」とも断言しています。


首相の任期は、5年間。


李鵬首相の就任は、1988年ですから、93年までは首相を続けると宣言したにも等しいわけです。


この自信はどこから来ていたのでしょうか。

天安門事件後の中国 8

中国共産党中央と国務院の所在地で、多くの中国要人が執務居住し「北京のクレムリン」とも呼ばれる故宮に隣接した「中南海」。


インタビューの場所は、李鵬首相が好んで外国要人との会見に使う「紫光閣」。


清朝時代の同治年間から皇帝が外国の使臣を接見する部屋でした。


80年代の成功面・失敗面、両面の総括、90年代の中国の国家戦略、米中ソのいわゆる三極関係などを聞いて、約束の30分が過ぎたそうです。


李鵬首相はこのインタビューの後には、日本の中山外務大臣との会談が予定されていました。


立ち上がりながら、日本人記者は指導部人事の動向を直接聞いてみようと約束外の質問を試みました。


「指導部人事のこともあり、来年の第一4回党大会を繰り上げ開催、ないしは党代表会議の今年開催という説がありますが・・・」


「この件は、実は9日の記者会見で話そうと思っている。今はなしにしよう。」


李鵬首相が退席した後、機材の撤収中に外事担当秘書が飛んできたそうです。


「最後のやりとりは、記者会見の日まではオフレコです」。


補足取材の結果、党大会の繰り上げ開催はないとの裏をつかみました。


このため、9日の記者会見では質問の指名を受けたそうですが、中南海で聞けなかった湾岸戦争後の中国の国防建設方針を聞くことにしたそうです。


彼は、党大会の件は持ち出すのをやめたのです。

リサイクル問題

こんにちは。


今回はリサイクル問題について少し書いていこうと思います。


現在、ごみエネルギーをさらに積極的に利用していく施策が期待されています。


ただしこのことは、ごみ処理の方策として焼却だけで満足したり、集団回収とか分別収集、あるいは選別施設による資源化事業を軽視してよいということにつながるものではないでしょう。


焼却に至るまでのあらゆる段階でごみ減量と再利用の可能性を追求し、それでも出てくるごみを今度は焼却施設で受けとめて、その過程では熱エネルギーの有効利用を徹底する・・・


このような順序で考えるべきではないでしょうか。


そこで、大都市での清掃事業における資源化事業をまず見ると、資源ごみの本格的な分別収集を実施しているのは広島市と仙台市だということがわかります。


あとは川崎市や神戸市がアルミとスチール缶の分別収集をしていたり、リサイクルトナーを推奨しているくらい。


残りの市は札幌、東京、名古屋のようにごく一部の地区でびん・ガラスあるいは鉄・アルミ類の分別収集を行っているか、もしくは選別場で磁石を用いて鉄類を回収する程度にとどまっています。


天安門事件後の中国 7

「中国記者は、自分の所属の社名の宣伝のための質問だけですよ」(中国の新聞記者)


・・・とはいうものの、外国プレスは手ぐすねひいて待ちかまえています。


李鵬首相にとっては、年1回の真剣勝負の舞台です。


この記者会見で、次のような質問が飛びました。


「3月20日付の『人昏報』海外版に李鵬首相の下馬を求める字句を含んだ詩が掲載されたが、どう受け止めるか」。


李鵬首相は「これは小事、提起するに値しない」と答え、ややうつむいた後


「中国はこれほど大きく人ロも多い。


何人かが党と政府に反対したからといって驚くにあたらない。


いましがた閉幕した全人代は、私の報告を圧倒的多数で採択した。


これが、中国の民意を代表している」・・・と軽く受け流したものです。


テレビを見ていた一般市民は、李鵬首相の余裕に驚いたといいます。


実は、この記者会見の3日前、李鵬首相に単独インタビューを行っていた日本人がいます。

天安門事件後の中国 6

「李鵬首相は悪運が強い。


老天爺(お天道さま)まで加勢している」。


・・・こんなつぶやきを最近よく聞くようになりました。


不人気の李鵬政権が長く続くはずがない、西側の「経済制裁」で李鵬政権は苦境に追い込まれるだろう・・・。


天安門事件の直後、国外の論調の多くはこうでした。


次いで起きたソ連の激変と東欧社会主義政権の崩壊。


「次は中国の番だ・・・」


世界の多くがそう考えました。


しかし、いまのところその兆しはありません。


1991年4月9日、全国人人民代表大会(全人代)がすべての審議を予定どおり終え、閉幕した直後、李鵬首相は、人民大会堂3階大庁での内外記者会見に臨みました。


中国首相が外国記者団の質問を直接受けるのは、外遊出発時の空港会見を除いて、毎年、これ1回だけです。


これをCCTV(中国中央電視台)が、生中継で全国に放送しています。

天安門事件後の中国 5

「90年代中国予警研究報告」という報告書があります。


これは、政府系のある機関が指導部に提出した危機予測の提言です。


報告書は、中国の安定と団結を脅かすのは、大学生やインテリの「民主化要求」ではないと断言しています。


90年代中国の最大の脅威は、


▽人口の増大と人口素質の低下


▽生存空間の狭小化と生態環境の脆弱化


▽食糧供給の緊張化


▽経済体制管理の不合理による利害衝突


▽社会内部の矛盾の拡大と政治改革の停滞などの要素であるとしています。


天安門事件2周年を前にした91年5月下旬、中国社会科学院のある研究所の教授はこう語っています。


「天安門事件については風化ではなく淡化が進んでいるのは事実です。


しかし、武力鎮圧はしたものの中国の基本的課題の解決は先送りされたままですから、状況はかえって深化しているのです」。